株式会社犀の角 公式ブログ

台東区で保育所を運営しています

偽善が嫌いな理由は過去の糞な自分

中学三年のホームルーム的な授業時、担任が「もし同級生に在日朝鮮人がいて、その人に自分は在日だと正直に言って欲しいか?」という質問をクラスに投げかけた。我が母校は日教組教育に完全に侵された教育現場だった。当時の私は学校生活においても日常生活においても在日朝鮮人差別的な風潮を感じたことがなかった。人種差別というものに実感が全くなかった。しかし私は悩んだ挙句、こう答えた「自分が差別するかもしれないので黙っていて欲しい」 それはひねくれものの優等生拓郎少年が編み出した他とは違う精一杯の答えだった。案の定それは、同じ意見ばかりで退屈していた担任を喜ばせ、拓郎少年は正直者だと讃えた。その後「差別問題は根深い」と教育委員会で大威張りに報告した担任の姿が目に浮かぶ。今私が当時の担任の立場だったら、拓郎少年を放課後呼び出し本心を聞くだろう。もし本心で言ったのだったら切々と差別とはどういうことかを説くだろう。

でも本心じゃないよな?差別とかどうでもよくて、他と違うことを言っていい格好したかったんだよな?今にして思うけど在日のクラスメートがいた可能性も大いにあるよ。その子を傷つけてしまうことまで想像できなかったんだよな? それでもお前は糞だよ。お前みたいないいかっこしいの奴を偽善者って言うんだ。お前のウソが人を傷つけてるんだよ。親の顔にも泥を塗ったんだよ。そしてそれは自分自身も傷つけている。もう絶対そんな糞にもならないウソで自分を偽るんじゃないぞ。