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あなたの不動産を他社より5%高く売る@司法書士試験独学のブログ

不動産売却のセカンドオピニオンもしくは駆け込み寺 日本一安い手数料

【創価学会】舛添都知事に文春砲 ときどき野々村・デヴィ夫人【生い立ち】

お金 家族 偽善者 人間心理 政治

文春、始動

ん、香ばしいいい匂い、、今朝トースト?

、、いやあんたそれもう焦げてる!焦げ臭っ!裏面真っ黒やん!

そんな声がキッチンから聞こえてきそうなニュースです。

 

舛添都知事が公用車で温泉地別荘通い (週刊文春) - Yahoo!ニュース

 

ついに文春がアップを始めました。

ふ臭を放つ政治家の賞味期限をウォッチする。

これぞ文春の正しい使い方です。

 

「金を使わせれば一級品、外交は三級品」こと我らが舛添都知事の断末魔がそろそろ聞こえてきそうです。

もう金銭感覚が常軌を逸しています。

「都知事の仕事は金に見合わないからこれくらい特権だべ」とか思ってるんでしょうね。政治家になったらこんなにおいしい思いができるってこと子供たちに教えてくれてるんですね。政治家ってほんとうに夢のある職業ですね。

それにしても、今再び話題になってる野々村前議員といい舛添都知事といい、なぜ温泉は政治家をここまで引きつけてやまないのでしょうか。お二人共、これからは温泉大使として日本の温泉の素晴らしさを世界に向けて発信していって欲しいと思います。

toyokeizai.net

 

舛添さんの人物像

政治家以前に、ここまで金にとりつかれるようになった人間・舛添要一の背景が気になったのですこし調べてみました。

興味深いエピソードをいくつかあげてみます。以下舛添要一 - Wikipediaより

 

生い立ち[編集]

福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に父・彌次郎、母・ユキノ(母は長野県駒ケ根市の小池家の出身)の長男として生まれた。4人の姉がいる。

父は戦前、鞍手で炭鉱を経営するなど様々な事業を手がけ、昭和5年の若松市議会選挙に立憲民政党陣営から立候補したこともあった(次点で落選[6])。戦争で零落したものの、要一の幼少時は青果店を経営し、比較的裕福な家庭に育ったが、小学2年の時の火災をきっかけに父が病臥(要一が中2の時に死去)、家業も傾き、以後は貧困の中で苦学した[7]

 

意外でした。ずっと裕福な家庭に育ったのだと思っていましたが、お父様が亡くなって大変苦労なさったようです。この生い立ちと、 矢沢永吉が好きというところからも、ハングリー精神の強さが読み取れます。

 

家族・親族[編集]

  • 2度の離婚歴がある。最初の妻は留学時代出会ったフランス人。2度目の妻は大蔵省官僚時代の片山さつき(当時:朝長さつき)であり、衆議院議員だった近藤鉄雄の紹介でお見合いしたのが馴れ初めで1986年に結婚。しかし実質的な結婚生活は長続きせず、3か月後には片山が弁護士に相談する事態に陥ったといい、調停を経て1989年に離婚[80]。1996年6月に現在の妻である元秘書の女性と3度目の結婚、2児をもうけている。
  • 他に日本人女性2人との間に婚外子が3人おり[注 2]、実子は計5人である[82]
  • 婚外子の母である元愛人に対して弁護士名義で手紙を送り、「自分の年収が激減している。子供も自立したのだから、月額22万円の扶助料を減らしたい」との理由で婚外子の養育費削減を通達したことがある。なお、所得等報告書に競馬関連の記載があったことについて、舛添側は「エリザベス女王杯というものがある通り、競馬は国際関係の研究・勉強に資するものです」と説明したという[83]

 

女性関係がお盛んな人だというのは知っていましたが。

婚外子三人ってなかなか前時代的な豪傑ですね。そりゃあ金がいくらあっても足りないでしょうね。あと、競馬の言い訳がおもしろいです。タレントやってる分には笑い話で済むんですけどあなた知事よ。こちら愛人のお母様の記事です。

舛添新都知事 元愛人母語る「実子への非道な仕打ち」 - ライブドアニュース

 

実姉の生活保護受給[編集]

また、お笑いコンビ次長課長河本準一の母親の生活保護受給スキャンダルの発覚(芸能人生活保護不正受給問題)から、姉の生活保護受給の話題が再び注目された[85]。1992年、北九州市の担当職員が「可能な範囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」と頼むため舛添の家を訪ねたが追い返されたという(元市職員談)。当時の舛添はタレント学者としてテレビで稼いでおり、億単位で不動産を買い漁っていた。これらの事実確認を求める取材に対し[86]、舛添事務所は応じていない。

 

これもなかなかえげつない話です。兄弟に支援の手を差し伸べないような人が、都民のために仕事をする気概を持っているとは思えません。

 

介護[編集]

2000年に実母が死去するまでの数年間は、介護のため週末は郷里の北九州市で過ごすことが多く、仕事の重点も関西にシフトさせていた。晩年認知症(痴呆症)であったこの母の介護体験記『痴呆症の母を守って家庭崩壊』を『婦人公論』に連載[注 3]。母の介護問題を巡る困難や親族との軋轢など[注 4]を赤裸々に描き、大きな反響を呼んだ。この体験以来、福祉や介護問題を始めとした厚生行政への働きかけや問題提起を活発に行っている。介護体験は自ら政治の世界に足を踏み入れるきっかけの一つとなり、後の厚生労働大臣就任へとつながっていった[88]

ただし、『週刊文春』において、舛添氏が母親の介護をしていたのは2000年に亡くなるまでの3年間ほど週1回程度、母親の日々の介護は舛添氏の会社の取締役に名を連ねる3番目の姉が行なっていたとの「近所の老人」による証言が掲載される。3番目の姉と舛添氏が介護に携わるまで長年、長姉夫婦が母親と一緒に暮らしていたが、同夫婦には母親と別居後は母親の死も知らされなかったとされる。また、舛添氏は著作で長姉夫婦が母を虐待していたと書いているが、長姉夫婦はそれを否定している。舛添氏母が関わった病院や施設関係者への文春の取材では「長姉夫婦が虐待をしていたなんてことはない」といった内容の記事が掲載された[89]

 

文春には昔から目をつけられていたのですね。芯まで染み付いた臭いは簡単には取れないのでしょう。とにかく兄弟姉妹を貶めるのが好きな方のようですね。もし虐待が事実だとしても、どうしてそれを好んで表沙汰にするのが理解に苦しみます。そしてこの記事も舛添氏の介護関連ではとても含みがあるような書き方です。

 

以上わかったことは、金への執着心の原点、兄弟姉妹との根深い確執、今の地位も財産もすべて一代で築いたものだということ

 

創価学会とのつながり

そして今回の文春の記事にもありますが、湯河原の300坪の別荘は、妻が代表を務めるファミリー企業の持ち物らしいです。妻を調べるときな臭いページがヒットする。

 

【創価幹部疑惑】 舛添要一の妻・「雅美」とはいったい何者なのか? - 創価学会と極左動向

 

マスコミが舛添問題を報じない原因はこれかと勘ぐってしまう。しかしそう考えると辻褄があう。デヴィ夫人のファインプレー炸裂である。伊達にインドネシア革命を生き延びていない。つまり、創価学会から舛添に金が流れていたという図式。何かと出費も多い舛添氏が300坪の温泉別荘を所有している理由としても合点がいく。もし事実ならもはや舛添さんだけの問題ではなくなります。

 

最後に、池田先生に媚を売る舛添さん。今みるとやばいよ・・

www.youtube.com

 

さあ文春、どこまで切り込めるか大仕事

 

 

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